下記の観光スポットは長崎市内となります。(車イス利用でも可能な観光スポット)
その他ご希望の観光スポット(長崎市・長崎市外)の観光案内も可能ですのでお気軽にお尋ねください。
観光案内について
事前に観光スポットのご希望をお聞きし、車イスでも安心なコースをご提案させて頂きます。お客様ご希望のスポット観光のみでも可能です。
貸切り料金(介護が必要な場合は別途介護料が必要となります。)となりますので、交通状況や観光繁忙期等で設定時間に全ての観光が間に合わない場合は、ご相談の上時間延長または観光コースが変更になる場合があります。
※事前予約で受付した場合など、当日の天候が不良と予測される場合は観光案内を当事業所でキャンセルさせて頂く場合がございます。(事前にご連絡します。キャンセル料は発生しません)
長崎市内観光スポット紹介
旧グラバー邸(明治産業革命遺産 世界文化遺産)
スコットランド出身の商人トーマス・ブレーク・グラバーは、小菅修船場や高島炭坑の建設、事業化に協力し、後に三菱の経営にもアドバイスを与え、石炭・造船など、当時の日本の主要産業の近代化に貢献した。
1863年に建設された旧グラバー住宅は、国内に現存する最古の木造洋風建築で、居住やビジネスの拠点としてだけでなく、文化交流の場として活動拠点となった。
棟梁は大浦天主堂などを請け負った天草出身の小山秀之進(後に秀)と思われる。
対岸に三菱重工業(株)長崎造船所を眺望できる高台に位置している。
小菅修船場跡 (明治産業革命遺産 世界文化遺産)
船をボイラー型蒸気機関の力で曳き揚げるために設置されたレール上の船を載せる台(船架、現存しない)がそろばん状に見えたため、通称「ソロバンドック」の名で親しまれています。
修船場は、外国船の修理を目的としてトーマス・ブレイク・グラバーが薩摩藩士ら(小松帯刀・五代才助[友厚])と計画し、スコットランドから曳揚げ装置一式を取り寄せ、明治元年(1869)に完成しました。
このドックは、翌年明治新政府が買収、長崎製鉄所が管理し、明治20年(1887年)に三菱の所有となり現在に至っています。
その意味では小菅修船場は日本の近代造船所発祥の地ともいえます。
また、曳揚げ小屋は現存する日本最古の本格的な煉瓦造の建物です。
現在は国の史跡に指定されています。
三菱造船所 旧木型場 (明治産業革命遺産 世界文化遺産)
この史料館は、長崎造船所が日本の近代化に果たした役割を永く後世に残そうと、木型場として建設された建物を1985年10月に史料館として開設したものです。
館内は13コーナーにわかれ、1857年に長崎造船所前身の長崎鎔鉄所建設に着手されたときから現在までの技術の進歩を物語る品々や写真など900点余りの史料を展示しています。
また日本最古の工作機械や海底調査に使用された泳気鐘、日本初の国産陸用蒸気タービンなどの展示を通して、長崎造船所の歴史的変遷や造船技術の発展も紹介しています。
大浦天主堂 【世界文化遺産】長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産
幕末の開国にともなって造成された長崎居留地の中に、在留外国人のために建設した中世ヨーロッパ建築を代表するゴシック調の国内現存最古の教会堂です。 聖堂内を飾るステンドグラスには、約100年前のものもあります。
直前に列聖されたばかりの「日本二十六聖殉教者」に捧げられました。
西坂の丘で殉教した二十六聖人へ祈りを捧げるために建てられたため、正面は西坂の丘に向けられています。
設計指導者はフランス人宣教師のフューレ、プティジャンの両神父で、施工は天草の小山秀之進(のちに、「秀(ひいで)と改名」)です。
元治元年(1864)末に竣工し、翌年2月に祝別されました。
この直後の3月に、浦上の潜伏キリシタンが訪れ、信仰を告白したことにより、世界の宗教史上にも類を見ない劇的な「信徒発見」の舞台となりました。
明治8年(1875)と同12年(1879)の増改築により、平面形式と外観デザインも変容し、外壁も木造から煉瓦造に変更されましたが、内部空間の主要部には創建当初の姿が温存されています。
また1933(昭和8)年に国宝となるが原爆で被害を受け、1953(昭和28)年、日本最古の教会堂として国宝に再度指定されました。
眼鏡橋
17世紀、長崎の町並みは拡大され護岸を構築し、ほぼ現在の中島川が形づくられました。
このころは、キリスト教禁教の時代であり、唐文化の導入により興福寺などの仏寺が次々と建立されました。
寛永11年(1634)、興福寺の黙子如定禅師が架設したこの眼鏡橋は、長さ22m、幅3.65m、川面までの高さ5.46mで日本初のアーチ式石橋として有名です。
川面に映った影が双円を描き、「メガネ」に見えることから、この名前がついたと言われ、『日本橋』『錦帯橋』と並び日本三名橋に数えられます。
また昭和57年(1982)の長崎大水害で一部崩壊しましたが翌年復元され、国の重要文化財に指定されています。
近年では、眼鏡橋をはじめとする中島川護岸にあるハートストーンが、愛を願うパワースポットとして人気を集めています。
孔子廟 中国歴代博物館
元来、孔子廟とは、孔子の遺品を納め祀ったのが始まりで、明治26年(1893)中国清朝政府と華僑によって建造されました。
琉璃瓦・青白石製欄干・龍紋様の御道石・孔子像、72賢人石像などはすべて中国から取り寄せられたものです。
併設の中国歴代博物館は、2階には北京故宮博物院提供の宮廷文化財を、3階には中国歴史博物館提供の出土文化財を一堂に展覧しています。
平和公園
長崎市平和公園は原爆落下の中心地とその北側に世界平和を願って昭和26年造られた公園です。
毎年8月9日には、原爆で亡くなった約7万5000人の人々の慰霊祭と平和記念式典が平和祈念像の前で行われます。
高さ 9.7メートルの平和祈念像を中心に、水を求めてさまよった少女の手記がきざまれた「平和の泉」や世界各国から寄贈されたモニュメントなどが設置されています。
園内の一画には、被爆前、長崎浦上刑務支所の職員や官舎居住者、受刑者及び刑事被告人など計135人が全員即死した長崎刑務所浦上刑務支所遺構もあります。
公園広場は整備が行き届き、車椅子で各場所に行くことができ真近で見学することができます。
長崎原爆資料館
昭和20年(1945)8月9日午前11時2分。
広島原爆投下から3日後、長崎市内の浦上地域上空で原子爆弾が炸裂し約15万人の人々が命を落としました。
この資料館では被爆の惨状をはじめ原爆が投下されるに至った経過、被爆から現在までの長崎の復興の様子、核兵器開発の歴史、そして核兵器のない平和希求までがストーリーを持たせわかりやすく展示されています。
被爆直後と現在の長崎の風景写真を比較すると、目覚ましい勢いで復興した長崎の街と、長崎市民の逞しさが伝わってきます。
「原爆、戦争なんて遠い昔のこと」とはいえない現在の世界情勢。
各展示物に正面から向き合うと同時に“悲惨な歴史”を受け止め、真の平和について考えてみてください。
原爆・平和関係の図書閲覧ができるほか、ビデオコーナーを設置した図書室も併設しています。
日本二十六聖人殉教地
豊臣秀吉によるキリシタン禁止令により、1597年2月5日京阪地方へ伝導していたフランシスコ会宣教師6人と日本人信徒20人が処刑された丘です。
キリストが十字架に架けられたゴルゴタの丘に似ていることから、信者達がこの地を処刑の場に願い出たのだといわれており、二十六聖人の殉教以降も多くの人々が“火あぶり”“水責め”“穴吊り”といったむごい手段でもってこの地で処刑されました。
戦後、原爆の破壊から立ち上がった長崎は殉教地であった小高い丘を公園にかえ、昭和31年、長崎県はこの丘を史跡に指定。
26人の殉教者が列聖して100年目の昭和37年に二十六聖人等身大のブロンズ像嵌込(はめこみ)記念碑と記念館が建てられた西坂公園ができました。
また、昭和25年(1950)には、ローマ教皇・ピオ十二世がこの地をカトリック教徒の公式巡礼地と定めています。
世界新三大夜景スポット 稲佐山頂展望所
長崎市のランドマーク的存在で、夜景鑑賞に大変人気のスポットです。
長崎の夜景は2012年に開催された「夜景サミット2012 in 長崎」において、香港、モナコと共に「世界新三大夜景」に選ばれました。
また、2015年には、神戸、札幌と共に「日本新三大夜景」にも選ばれました。
稲佐山ロープウェイ
標高333メートルの稲左山山頂からは360度のパノラマで市内全景を望むことができ、日中天候の良い日は雲仙・天草・五島列島までも遠望できます。
夜は1000万ドルの夜景と激賞され、世界新三大夜景に認定された夜景のビュースポットとしても有名です。
平成23年にリニューアルしたゴンドラは、イタリア・フェラーリのデザイナーの手によるもの。
全面クリアーなゴンドラで、空中散歩をお楽しみ下さい。
出島ワーフ
長崎港周辺のベイエリアを占める複合商業施設「出島ワーフ」。
和食、洋食、中華料理やイタリアンの飲食店をはじめ、美容室、アウトドアショップなど個性豊かなショップが並んでいます。
地元長崎の新鮮な海鮮物を食べることができるお店があるのも魅力のひとつ。
また水際を楽しむ憩いの空間となっており、美しい景色を眺めながらテラスで美味しい食事を楽しむこともできます。
ここから見る夜景もひと味違った美しさです。
長崎県美術館
中世・現代のスペイン美術や長崎ゆかりの美術のほか、魅力的な企画展・催しが行われています。
長崎水辺の森公園
平成15年(2003)、長崎港に面した内港エリアに誕生した公園。 園内には運河が配され、水と緑にあふれた憩いの場として市内外の人々の人気を集めている。
この運河には「風待橋」「宵待橋」「あじさい橋」「オランダ坂橋」など長崎らしいネーミングの橋が架けられ、“水辺のプロムナード”と名付けられた散歩道を整備。
水遊びや散策が楽しめる。また、山から湧き出た自然の水を噴水やせせらぎに利用した水に親しむ広場“水の庭園”は、爽やかな水音して涼しげ。 夏は子ども達の格好の遊び場となっている。
ほかに小さな音楽会が開ける“森の劇場”もあり、運河に浮かぶ花の小島の“水辺の森公園レストラン”では水と緑に囲まれた美しい環境の中で食事をすることができる。
夜は木々もライトアップされてロマンチックな雰囲気だ。
女神大橋
女神大橋(ヴィーナスウィング)は、長崎港によって分断されている長崎市南部・西部を最短距離で結ぶことで市内中心部の慢性化した交通混雑を緩和し、地域全体の産業・経済・文化の活性化を図る事を目的に建設されました。
斜張橋としては、国内で6番目の長さを誇ります。
また、夜間にはライトアップされ、観光都市長崎の新しいシンボルとなっております。
2013年には一般社団法人「夜景コンベンション・ビューロー」より、第九回「日本夜景遺産(ライトアップ夜景遺産)」に認定されました。
長崎港を見下ろす絶景ポイント長崎港を見下ろす絶景ポイント長崎港を見下ろす絶景ポイント長崎港を見下ろす絶景ポイント長崎港を見下ろす絶景ポイント長崎港を見下ろす絶景ポイント
出島・出島表門橋
長崎・出島に130年ぶりとなる「出島表門橋」が開通!
この出島表門橋は、長さ38.5メートル、幅4.4メートル、鉄製のシンプルなデザインです。
夜間にはライトアップされ、幻想的なロマンチックな観光スポットとなっています。
また、出島表門橋の中へ入ると19世紀初頭の出島が復元されています。
鎮西大社 諏訪神社
創建は寛永2年(1625)で、当時はキリスト教が広まり他教を排斥したため、市内の社寺は破壊されることが多く、肥前唐津の青木賢清が長崎奉行・長谷川権六に願い出て造営したものです。
そして、寛永9年(1632年)青木が初代宮司になり、同11年(1634)から祭礼を行うようになりました。
現在も続くこの秋の大祭・長崎くんちは、豪華絢爛・異国情緒たっぷりな祭りとして日本3大まつりの1つに数えられています。
現在の社殿は火災のため消失し、明治元年(1868)に復旧されたものです。
楼門からの70余段つづく石段は見事なものであり、くんちのときは見物客でうまります。
和洋中の文化が混在した長崎にあって、日本的な風情のある地域の1つです。